最近、テレビや新聞で、「いじめ」の問題がよく取り上げられる。

私たちが子どもの頃にも「いじめ」はあった。

時代は変わって、「いじめ」もより陰湿になっている。

そして、見えにくくもなっていると思う。



どこからが「いじめ」なんだろう?

私は、「いじめ」は、本人が嫌だと思えば「いじめ」なんだと思う。



私も「いじめ」られたことがある。

学校から、泣いて帰った時、祖母が何も言わずに背中をさすってくれた。

泣き止んだ後に祖母が

「私は何があっても、あんたの見方やきね。」とだけ、ぼそっとつぶやいた。



親や家族には、どんなこと言われたとか、どんなことされたかなんて

言いたくなかった。

だって、家族は最後の砦だもの。

みんなに「いじめ」られてるなんて、

自分の存在自体を否定されてるなんて、

家族には、知られたくないし、

そんな子だって、思われたくなかった。




大人になって、もうそんなこと忘れたころに

私を「いじめ」てた人が、訪ねてきたことがある。



「あの時いじめて、ごめんね。」

彼女はそう言った。

私は、彼女のおうちのいろいろな事情が、

彼女をそんな風にしていたことを、知っていた。

だから、「いじめ」られている時も、

悪いのは、半分は大人だって思っていた。

「そんなこと、気にせんでいいよ〜。子どもの時のことやん。」

そう言ったけど、彼女は

「ほんとに悪かったっち、思っちょん。ごめんね。」

何度も、何度も謝った。

ちょっとだけ、涙が出た。

「忘れないでいてくれて、ありがとう。」と心の中で言った。



彼女は、3か月後

亡くなったと、風の噂に聞いた。


癌だったと。


子どもを遺していくことがわかって、

自分のこれまでを振り返ったのだろうか。



どんなことがあっても「いじめ」は許されるものじゃない。

「いじめ」られる側も、

「いじめ」る側も、

そして「いじめ」のまわりにいる子どもたちも

みんな苦しむ。

その時だけじゃない。

生きている間、ずっとずっと苦しむことだってあるのだ。

命を失ってしまうことだってある。


だから許せない。



そうしてしまっているのは、私たち大人なんだと、

そういう自覚を

私たちは忘れたらいかんと思う。


みなさんは「いじめ」について、どう思いますか?